ブッカ・ホワイト

なんでこんなかっこいいんだろうねぇ??
最近、ブラウザ開くたびに見てる。

僕はブルースが好きです。とくに、ふるいやつの、オープンチューニングのギターでかき鳴らしてがなってるようなやつが大好きです。でも、こういったものを聞く時、本当には好きなんだろうか、と考えて、ほぼ毎回疑問を感じてしまう僕がいます。結論としては、少なくとも、僕にはこういう音楽のかっこよさを本当には語ることはできない。たぶんこれは僕の嗜好であって、血ではないからだと思う。血っていうとなんだかかっこいい響きだけれど。

僕は、音楽は一種の言語であると思います。物理的・肉体的器具を用いた言語の拡張です。各言語の特異性と、その土地土地の音楽の特異性はよく似ています。ワレワレの日本語は、ひどく抽象的で、どの部分でも、あまつさえ主語ですら、カットアンドペースト可能です。だからこそ、ワレワレ固有の音楽も、ひどく抽象的で、個人的な側面を持っていると思います。そんなワレワレにとって、黒人音楽って、ひどくかっこいいんだけど、やっぱり異文化でしかないと思うのですよ。

ブルースやそういった外国の音楽をひどく物知り顔で語るひとがいますが、あれはほんとにわかってるのかな、と僕はそういう人を見るたび思います。私たちは軽易に経緯を知ることができるし、それに対して敬意を抱くこともできるけれど、やっぱりその根底にあるもの:言語と、それがもたらす思考と嗜好の特異性を理解することはやっぱりできないんだと思います。かっこよさはわかるけれど。日本人であるところのワレワレには、そんな文化を十把ひとからげに得意げに語るよーな資格はないんだと僕は思います。

アレンジは、できると思いますが。もっと、ワレワレは、日本人であることを誇ってもいいと思います。決して愛国主義国粋主義っていう意味じゃあないですが。文化の多様性の尊重、という意味で、です。僕らに見えないものが、理解できないものが存在するということは、たぶん、僕らだけがきちんと見えるもの、すくなくとも、僕らにはよりよく見える美しさや、趣のあるものなどが存在するかもしれないことを暗示しているようにも思います。

なんていうのかな、ワレワレは、つうか、なによりも僕は、外部を肯定しすぎ、自分を棄てすぎだと思うのです。他人ばっかり見ても、それはやっぱりコピーにしかならんよ。でも、なんていうのかなぁ、ブッカ・ホワイトは本当にかっこええな。